たい焼きが食べたい。
最近ふつふつと、たい焼きを食べたい…という思いが湧いている。パリパリであたたかい焼きたての。そう、たい焼きを手作りしたい。
あんこも炊こう。時間はかかるけれど冷凍だってできるし何よりやっぱり自分で作ると愛着のおかげで感じる美味しさが増す。
カスタードや煮りんご、チョコレートを挟むのもいいかもしれない。でもやっぱりまずはあんこだ。
通販で割と手頃な値段で手に入るので、さっさと買ってしまってもいいのかもしれないが、先月割とゆるっと散財したので、いやいや物欲に正直になりすぎでしょう。いつまで続くかわかんないのに。場所もとるし。と、理性の私が訴えてくる。ん?私の理性?まぁよい。よくない?
地味にそろそろ悩み始めて2週間くらいたつので、買ってもいいのかもしれない。ただ、物が増えるのがなんだかいやだ、と自分のどこかから声がするので、何かを処分してからにはなるだろう。それまでは購入せず、そのうちに悩みも去っていくのかもしれない。
鬱々とした自分だって自分だな、と認めると楽にはなるけれど、同時に活き活きしたい自分もいるようだ。ただ今までの経験でいくと、根っこの部分は変わらない(それが悪いことではないのだと思えるようにはなってきた)ので、ここで活き活きこそ善!!みたいなテンションにいくと波がきたときに瀕死状態になる。
自分は自分だと知りながらも、その中で日々少し上向きに生きていける日はそうすればいいのかもしれない。というか毎度のことながら難しく考えすぎなのだろうな。もっと単純でいいのだ。落ち込むときはがんがんに落ち込む、上がるときはブイブイ上がる。別にそれを人に振りまきさえしなければ自分の中の世界では自由だ。いつも同じことを言っているような気がする。
ただ、最近ぐるぐる思考に陥っていた時に自分が少し変わったなと思ったのは、マイナス思考に陥っているとき、「これは自分の持つ観念がなにかそうさせているんだな」と気付けるようになったこと。そこからそれはいらない!ぽい!!とはまだできていないが、以前ならこのまま暴走しかねなかったところだが、気付くことによって「これはなにかマイナス方向に偏りすぎている」と止まることができている。
自分の抱える虚しさや寂しさ。芸術においてはこういう感情も大切なのだろう。私の生活が芸術に関連することはいまのところないけれど、全て無駄だというほどではないのだろう、と思うとなんとなく安心する。
今週末は何をしようかな。今は久々にゲームの熱がきていることと、勉強がしたい気分だ。充実した週末になるといいな。ならなくても、まぁいいかと思える週末だといいな。