また暗めの記事である。
先週からずっと気持ちが落ち込んでいる。意識しなければネガティブに傾いてしまう。でもこれも私だしいいや、としてしまうとどれだけでも辛くなる。
これが一人の中での波だけであればいいのだが、今回は人が絡んだ話もあったのでいつも以上に自分を責めてしまうし、自分の言い方のせいでその人が不安を持ってしまったら、とか怯えさせていないだろうか、とかやたらと心配してしまうし、この対応は正解かと、エセ完璧主義の側面が出てくる。よく自己啓発系の書籍に登場する所謂生きづらい人の特徴だ。
けれど自分のことを「生きづらい人だ」とは思いたくない。そう思うとそれに甘えてしまうみたいで。本当に沈んでいるときは何をしても楽しくないし、空笑いだし、ここに書く気にもならないようだ。
自分と人との境界線をしっかりひき、自分は自分のできることをし、それ以上は相手のことだと割り切っていくのがいいだろう。ここの文末をすぐに「いくべきだ」「いかなければならない」と書きそうだったところ、そう表現したくないと思い他の文末を探したせいで、微妙な結果となる。
ただ以前と違うのは、こうして落ち込んで自分をどんどん責めてしまうときに、「自分を責める自分」「それを受ける自分」とは別に「それをみている自分」がいることだ。止められはしないのだけど、「この責めが本当じゃないってわかってるんでしょ?」みたいに言っている自分がいて、わかってはいるけれど責めるのもやめられず、余計パニックになる。ただその3人目の自分がいることで、実は私は私を責めたくて、責められるのが心地よくてやっているのか?と思ってしまう。かわいそうな自分に浸るのが好きなのだろうか。そんな自分は大嫌いなのに。
このように言葉を選ばず書くと、ジンくんになりたいだの自分を救いたいだのどこいった?ってくらい自分を責めまくっていることがよくわかる。それも自分だ、まぁいいか、と受け容れる。それが嫌な自分もさらに受容。多分責めまくってるとそのうち疲れてどうでもよくなるあるある。まぁどうにかなるやろ、もういいやろ…と投げ出したのかいい方に諦めがついたのかはよくわからない。そのうちまたメンタルオッケーな日々が戻ってくる。
この繰り返し。成長しないのだろうか。でもそれでもオッケーだよ!なのだろうか。
夜は眠くなるので朝早く起きるようにしている。が、夜ぎりぎりまで起きていたくなるので日中が眠い。なら朝はゆっくり寝るべきか、いや夜を早く寝ればいいのか。なんだかな。こうしてぐじぐじ言いながら、それでもゆっくりと自分を幸せのほうにもっていくことはあきらめたくないと思う。